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ふぉすてる ヴォルフ・フォステル
1937年 レーヴァクーゼンに生まれる。1950-53年 ケルンでリトグラフと工業芸術を学ぶ。1955-56年 パリ高等美術学校で学ぶ。1957年 デュッセルドルフ美術アカデミーで学ぶ。1962年 ヴィースバーデン第1回フルクサス・フェスティバル(ナム・ジュン・パイクやゲオルク・マツィウナスとともにフェストゥム・フルクシオールムに参加。1968年 カーゲル、フォイスナー、ホイバッハらとともに、視覚音響事象研究のための「ラボール協会」設立。1971年 ベルリンに移る。HAB(ハプニング・アルヒーフ・ベルリン)設立。1973年 ADA(前衛的アクション)をイェルン・メルカートらとともに設立。1976年 スペインのエクストレマドゥーラにMVM(マルパルティダ・フォステル美術館)設立。1981年 ノルドライン・ヴェストファーレンでフルクサス巡行。1982年 マドリッドでパブロ・イグレシアス文化賞受賞。1990年 メダイユ・ド・パリ受賞。1996年現在、ベルリンと、スペインのマルパルティダに在住。
カテゴリー:作家
タルとは?【 作家名 】 ネグリチュードの詩人としても知られた文人大統領サンゴールが打ち出した、新生セネガルの発足に際しての文化振興政策の思想は、アフリカの伝統的な精神をベースにして、西欧近代の物質文明を同化してゆこうというものであった。当時、パリから戻ったばかりのパパ・イブラ・タルは、サンゴールの理想の実現に向けて、ダカールの若い美術家たちを指導し、積極的に助言をあたえるなどした。やがて、これら一群の作家たちをエコール・ド・ダカールと呼び称するようになるのだが、彼らは仮面や神像などの伝統的なモチーフをキュビスムの手法を取り入れて、半抽象の様式で描くことに活路を見いだした。1966年、ダカールで開かれた第一回世界黒人芸術祭で、エコール・ド・ダカールは華々しく登場することになる。パパ・イブラ・タルも、この時にイバ・ンジャエによって企画された〈現代美術−傾向と対峙〉展に出品している。ここではエコール・ド・ダカールの第一世代の美術家たちがどのような顔ぶれであったのか、よく知ることができる。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
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