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ゆっかー ギュンター・ユッカー
1930年 メクレンブルクのヴェンドルフに生まれる。1949年 画家および広告画家としての修業。1949-53年 ヴァイマール応用美術専門学校、のちにベルリン・ヴァイセンゼー美術アカデミーで学ぶ。1953年 西ベルリンへ移住。1955-57年 デュッセルドルフ美術アカデミーでオットー・パンコックのもとで学ぶ。1957年 最初の釘絵。1961年 『沈んだ構造』(最初の光農園、最初の光映画)。1971年 ラテンアメリカに旅行、インディアン文化を学ぶ。1973年 5ヶ月間のアフリカ旅行。1974年 アジアに旅行。1976年 デュッセルドルフ美術アカデミー教授。1996年現在、デュッセルドルフに在住。
カテゴリー:作家
川端玉章とは?【 作家名 】 京都に蒔絵師の子として生まれる。幼名龍之助。晩年は璋翁と号した。はじめ、父から蒔絵の手ほどきを受けるが、中島来章に師事し円山派を学んだ。慶応2年(1866)江戸に出て、覗眼鏡の興行などを経た後、高橋由一、五姓田義松とともにワーグマンから洋画を学ぶ。そして、油絵具で屏風を描いたこともあったという。明治10年(1877)第一回内国勧業博覧会以降、受賞を重ね、第一回、第二回内国絵画共進会では、受賞作がフェノロサから評価を受ける。明治21年(1888)から、円山派を代表する画家として、東京美術学校で後進の指導にあたった。シカゴ万国博覧会に出品。日本青年絵画協会の結成に尽力した他、川端画学校校長、帝室技芸員、文展での審査員などを歴任した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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