![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
くらっぐ トニー・クラッグ
1949年イギリス、リバプールに生まれる。研究所技術者として勤務した後に、美術を学んだ。1977年、ドイツ、ヴッパタールへ移住してからは、当地にて制作を続けている。カラフルなプラスチックを色素材として、平面に表したインスタレーションで一躍脚光を浴び、その後、物質の集積を思わせる知的な作風に展開して、欧米を始めとするアートシーンで賞賛された。以後、世界各地の美術館で個展を開催するなどし、作家としての評価を不動のものにする。デュッセルドルフ美術アカデミー教授を経て、2001年からは、ベルリン芸術大学教授として、後進の指導にも意欲的である。20世紀のイギリスの彫刻家としては、ヘンリー・ムーア、アンソニー・カロを継ぐ世代にあって、非常に重要な作家である。
カテゴリー:作家
帝展とは?【 美術用語 】 文部大臣の管理下に設けられた帝国美術院によって、1919年から35年まで開催された美術展覧会。1907年から文部省美術展覧会(文展)が開かれたが、次第に二科会、日本美術院、国画創作協会など在野の有力団体の活動が活発化したのに対して、文展にはアカデミズムの弊害が目立つようになった。その対応策として文展創設以来審査にあたってきた老練作家を帝国美術院会員とし、比較的若い世代を審査員に起用することで今までの文展に活気を吹き込もうとした。この改革は一定の成果をあげたが、1935年在野有力作家の吸収を目的として文相松田源治によって帝国美術院が改組され、37年ふたたび文部省美術展として発足した。戦後は1946年日本美術展覧会(日展)として再出発したが、49年日本芸術院と日展運営会が共催することとなり、さらに58年から社団法人日展により運営されている。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||