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ぼてろ フェルナンド・ボテロ
1932年コロンビアに生まれる。幼い頃より絵に親しみ、16才の時初めてグループ展に出品する。またこの時既に新聞の挿絵を描いている。1952年マドリッドのサン・フェルナンド・アカデミーに学び、現代美術には関心を示さず、ベラスケスやゴヤを手本とする。翌年フィレンツェのサン・マルコ・アカデミーでフレスコ画の技術を学ぶ。またフィレンツェ大学で15世紀の美術史を受講するなど、イタリア美術を研究する。1956年メキシコを訪れ、初めて形態のボリュームを膨張させるという着想を得る。1957年からアメリカに進出、当時の抽象表現主義の動向に参加せず孤立したが、精力的に個展や国際展に出品し、自己の作風を確立して高い評価を受けた。1973年ニューヨークからパリに居を移し、彫刻も手掛けた。ヨーロッパの古典芸術を熱心に摂取しながらも、自由な創造力と強烈な個性によって、極めて独創的な「ふくよかな世界」を表現し続けている。1976年にカラカス現代美術館で大規模な回顧展が開かれた。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)
カテゴリー:作家
エコール・ド・パリとは?【 美術用語 】 パリ派。13世紀、聖王ルイのもとで装飾挿絵を描いた画家達を指すこともあるが、より知られた使い方は、20世紀初めにパリで活動した画家達を指す。さらにその中でも、広義では19世紀末の印象派あたりから第2次世界大戦後の抽象主義あたりまでを漠然と指し示す場合がある一方で、狭義では第1次世界大戦頃から第2次世界大戦前までパリで活躍した主として外国人画家達を指し示すこともある。そして一般的には後者の場合を言う。彼らはフォーヴィズム、キュビズム、シュールレアリスム等の20世紀初めの潮流から、直接的にははずれたところで、具象的な、そしてしばしば悲劇的で破滅的な作風をみせた。モディリアーニ、シャガール、スーティン、キスリング、パスキン、フジタ(藤田嗣治)などが代表格である。彼らは一匹狼的であり、人間的交流はあったものの、1つの様式や理論のもとに集まった流派ではなかった。芸術の都パリに生まれた、国際的できわめて個性的な集団であったといえよう。 |
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