1911年チリに生まれる。2002年没する。サンチャゴのカトリック大学で建築を学ぶ。1933年にパリに渡り、34年から35年まで建築家ル・コルビジェのもとで助手として働く。1935年に、絵に身を捧げる決意をする。この頃、シュールレア
リスト達と親交を持つ。第2次世界大戦中の1939年ニューヨークに亡命する。
マッタに続いて
エルンスト、
マッソン、
ダリ、ブルトン、
デュシャンらもアメリカに渡る。キャンバスに液を塗りひろげ、茫洋とした中から、
オートマティスムの手法を用いてしだいに形が生み出されていく彼の作品は、彼の科学観の反映でもある。商業的にも成功した
ダリとはまた違った意味で、シュール
レアリスムの存続を担う作家であるといえよう。1954年にはパリに戻り、56年にはパリのユネスコビルの壁画制作を依頼される。この頃から彫刻にも手を染める。1957年にはニューヨーク近代美術館で回顧展が開かれた。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)