1902年キューバに生まれる。父親は中国人、母親はアフリカ人、イン
ディアン、ラテン人の混血。1923年ハバナのサン・アレハンドロ・
アカデミーを卒業して24年スペインに渡り、アカデミックな写実の画家ソトマジョールに学ぶ。1936年
ピカソの作品に強い感銘をうけアカデミックな表現から離れる。1937年フランコ政権をさけてパリに移り、シュール
レアリスム運動に参加する。1941年ナチスから逃れてブルトン、
エルンストらとともにアメリカに亡命する。
マッタとともにフランスのシュール
レアリスムとアメリカの若い画家を結びつける役割を果し、
抽象表現主義の誕生に影響を与える。ジャングルやトーテムを思わせる画面はヴードー教の魔法のイメージに発想を得ているといわれ、魔術や呪術に関心を示したシュール
レアリスム後期を代表する作家の1人と目される。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)