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たかしま ほくかい 高島北海
1850年山口県に生まれる。1872年工部省鉱山寮出仕となり、1885年−1889年フランスのナンシー森林高等学校に留学。帰国後は農商務省林務官、福岡大林区署長を歴任。絵を独学し、在ナンシー時代にエミール・ガレらと交友、アール・ヌーヴォー運動に影響を与えた。1899年官職を辞し画業に専念。文展審査員をつとめ、日本、ヨーロッパ、アメリカ各地の山岳風景を描いた。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年)
カテゴリー:作家
荒井寛方とは?【 作家名 】 1878年栃木県に生まれる。町絵師荒井藤吉の長男、本名寛十郎。1899年(明治32)上京し、水野年方に入門。鏑木清方、池田輝方、大野静方とともに年方門の四天王と称される。絵画共進会、東京府観業博覧会に入選し、また国華社に入って古美術の模写に才能を発揮する。1907年の第1回文展に入選し、ついで第2回、第3回で連続して3等賞を、第4回、第5回で褒状を受けた。1914年(大正3)に日本美術院が再興されると出品し、第1回展で院友に第2回展で同人に推挙された。来日したタゴールの求めに応じて1916年インドに渡り、足かけ3年にわたって絵画教師としてベンガル地方の文芸復興運動に寄与した。一時院展内部にインド派的傾向を醸成させるが、後に日本回帰し、独自の仏画のスタイルを完成させた。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
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