オーストラリアのポート・アデレード出身の
メンペスは、1870年代に
ロンドンに移住し、1880年代初頭に
ホイッスラーに弟子入りする。1887年に師の
ホイッスラーよりもいち早く日本を訪れた
メンペスはそれを理由に
ホイッスラーに仲違いされるが、8カ月間の滞在は有益で、数多くの油彩や
エッチング作品を制作し、帰国後展覧会で発表している。
メンペスの日本への思い入れは帰国後も強く残り、再び1896年に日本を訪れている他、1895年完成の彼のイギリスの自宅は、アーサー・マ
クマード設計による日本式のデザインであった。彼の日本美術についての考察は、カラー挿絵100点とともに1901年に『日本−色彩の記録』として出版されている。(M.Y.)(「世紀末から 西洋の中の日本「
ジャポニスム展」図録)