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めんぺす モーティマー・メンペス
オーストラリアのポート・アデレード出身のメンペスは、1870年代にロンドンに移住し、1880年代初頭にホイッスラーに弟子入りする。1887年に師のホイッスラーよりもいち早く日本を訪れたメンペスはそれを理由にホイッスラーに仲違いされるが、8カ月間の滞在は有益で、数多くの油彩やエッチング作品を制作し、帰国後展覧会で発表している。メンペスの日本への思い入れは帰国後も強く残り、再び1896年に日本を訪れている他、1895年完成の彼のイギリスの自宅は、アーサー・マクマード設計による日本式のデザインであった。彼の日本美術についての考察は、カラー挿絵100点とともに1901年に『日本−色彩の記録』として出版されている。(M.Y.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作家
小林清親とは?【 作家名 】 江戸に生まれる。父は、幕府の本所蔵屋敷総頭取。父の没後、幕府の勘定下役として京都、大阪に滞在し、鳥羽伏見の戦にも参加。維新後は、明治7年(1874)、静岡から上京して画業に専念。ワーグマンにも学んだといわれる。明治9年(1876)、水彩画の学習によって得た遠近法や陰影法を用いて、東京の新名所を木版画で表し、次々と発表。光と陰の表現から、「光線画」として人気を集めた。明治14年(1881)頃から、光線画の制作をやめ、「団団珍聞」に風刺画を描き、また、「東京日日新聞」「報知新聞」などに挿絵を描いた。日清戦争時には錦絵で戦争画を制作。その後、錦絵の衰退に伴い、肉筆画を描くことが増えていった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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