ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


原勝郎



原菊太郎



原健



原丹橋



原鵬雲







ハルス



ハルトフ



春日蜿々(白梅)



ハロルドジェニングス



版画集『大鴉』『大鴉』表紙



版画集『大鴉』胸像の上の大鴉−「パラスの像へと降り立った……」



版画集『大鴉』飛翔する大鴉:書票



版画集『大鴉』窓辺にて−「ここに私は鎧戸を開け放った……」



版画集『大鴉』椅子−「床の上に漂いつつ横たわるその影……」



版画集『大鴉』ランプの下で−「嘗て物寂しい真夜中に……」



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉1. フィリポ 邊梨保の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉10. タダイ 多駄伊の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉11. ヤコブ 也胡武の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉12. シモン 指聞の柵


<前 (119/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


ざつきん

オシップ・ザツキン

1890年ロシア、スモンレスクに生まれる。1967年没する。1907年からロンドンの工芸美術学校、09年からはパリのエコール・デ・ボザールで学ぶ。アポリネール、マックス・ジャコブ、ブランクーシ、アーチペンコ、リプシッツピカソらと交友する一方、アンデパンダン展やサロン・ドトンヌに出品する。また、1914年にはベルリンの新分離派にも参加する。1919年、ブリュッセルでの初個展以降、東京も含む世界各地で個展を開く。1939年、ニューヨーク万博のフランス館でも作品が展示される。1940年に、ナチの手を逃れてニューヨークに渡る。1945年パリに戻り、グラン・ショーミエールで教鞭を執る。1949年にはパリの国立近代美術館で大回顧展、翌50年にはヴェネチア・ビエンナーレで大賞を受ける。また、日本の二科会のメンバーに、名前を連ねたこともある。黒人彫刻の影響を受けながら、独自のスタイルを築き上げ、キュビスムの代表的な彫刻家の一人といわれる。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

フォートリエとは?【 作家名 】

1898年フランスに生まれる。1964年没する。1909年イギリスへ渡り、12年にロンドンのロイヤル・アカデミーに入って美術を勉強するが、中退する。1917年には兵役につき、第1次世界大戦終了を機に1920年パリに戻る。写実的な絵を描いていたが、1928年初めての抽象的な絵を描く。第2次世界大戦中は対独抵抗運動の中心人物となり、1940年にはパリの郊外に隠れて〈人質〉のシリーズを制作する。パレット・ナイフによって念入りに厚く塗り重ねた淡い色彩によって、既製の形に頼らず、絵画のマチエールの自発的な働きをつむぎ出すようなその作品は、アンフォルメルの源流となっている。アメリカの抽象表現主義に与えた影響も少なくない。1943年と45年には、パリ、ドルーアン画廊で〈人質〉展を開く。1957年にはハンガリー動乱をもとに〈パルチザン〉を発表する。1959年には来日して南画廊で個展を開く。1960年にはベネチア・ビエンナーレで大賞を受賞した。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

フォートリエ

キーワードを含む記事
8件見つかりました。



  虐殺された人々

  手のある人質I

  ジャン・デュビュッフェ

  ジャン・フォートリエ

  紫の人質

  夜の中の女

  裸体像の習作


<前   次>

徳島県立近代美術館2006