データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
けるこう゛ぃうす イダ・ケルコヴィウス
1897年、リガに生まれる。1908年、ベルリンの美術学校でアドルフ・マイヤーに学ぶ。またシュトゥットガルト美術学校ではアドルフ・ヘルツェルに師事し、ll年からヘルツェルの助手となる。1920−23年、ワイマール・バウハウスに在学し、イッテンの予備課程、クレー、カンディンスキーの授業、織物工房でムッヘに学ぶ。1933年、「退廃芸術」の烙印を押され、作品の制作を禁止される。1939年から織物職人としてシュトゥットガルトで活動する。1950年、ドイツ芸術家連盟の会員となる。63年には名誉理事となる。1970年シュトゥットガルトで死去。(「バウハウス展−ガラスのユートピア」図録 2000年)
カテゴリー:作家
いまクリックまたは、検索したキーワードの解説
ダダとは?【 美術用語 】 第一次大戦中、ヨーロッパおよびアメリカに起った運動。1916年、チューリヒのキャバレ・ヴォルテールで、トリスタン・ツァラ、ジャン・アルプらが、辞典の一頁から偶然に拾った言葉「ダダ」を用いた。大戦の不安のなかで、合理主義文明とその社会体制を否定し、破壊しようという運動で、おびただしいデモンストレーションとスキャンダルを通じて「なにも意味しない」虚無のダダを唱えた。この否定の精神は、ドイツではヒュルゼンベック、グロスらにより政治的色彩を濃くした。またニューヨークでマルセル・デュシャン、ピカビアらが写真のコラージュや、レティ・メイドのオブジェを使った時期をニューヨーク・ダダと呼ぶが、デュシャンの芸術そのものへの否定精神(反芸術)は、第二次大戦後の若い作家に受け継がれた。さらに1919年にケルンでエルンスト、アルプらが起したダダ運動は、偶然性や意識下の世界を通じて、のちにシュルレアリスムや抽象表現主義への道をひらいた。 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||