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さんぶ イッサ・サンブ
ダカールに生まれる。ダカール大学で哲学と法律とを修め、さらに、同地のエコール・デ・ボザールで美術を学ぶ。ラボラトワール・アジという美術、音楽、映画、演劇などあらゆる分野の作家たちの集めたグループの実質的な主宰者として、作家たちの精神的支柱となっている。彼はアフリカ諸国やヨーロッパを渡り歩き、現在ダカールにおいて、画家、彫刻家としても活躍している。身辺の社会的テーマを扱う彼の表現方法はインキ、グワッシュ、油彩、コラージュなど多岐にわたり、さらにインスタレーション、パフォーマンスといった空間表現も取り入れている。ダカールの中心街の一角ジュール・フェリー街の彼の家の庭は、ダカールの作家の集会所を兼ねており、今日のセネガル、ひいてはアフリカにおける現代美術の発信源となっている。彼はヨーロッパに出品されるアフリカの現代の作品は、結果的にヨーロッパのために造られた作品でしかないとしている。それはヨーロッパへの批判であると同時に、ともすれば白人たちに媚びがちな今日のアフリカ美術への痛烈な批判でもある。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年)
カテゴリー:作家
マルクスとは?【 作家名 】 1889年、ベルリンに生まれる。1908−12年、ベルリンの芸術家リヒャルト・シャイデに絵画を学ぶ。1919−25年、バウハウスのマイスターとして指導にあたる。20年からはドルンブルク陶器工房の形態マイスターとして活動。1925−33年、バウハウスを去り、ハレ郊外ブルク・ギービッヒェンシュタイン工芸学校で彫刻を指導する。30年からは校長になる。1937年、ベルリンに戻るが、作品発表が禁止される。1946年、ハンブルク州立芸術学校教授となる。1950年、ケルンに住み、54年にノルトライン=ヴェストファーレン芸術大賞を受賞。以後各地で回顧展が開催されるようになる。1981年、ブルクブロールで死去。(「バウハウス展−ガラスのユートピア」図録 2000年) |
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