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おおの さちひこ 大野幸彦
1857年鹿児島県に生まれる。旧姓、曾山。祖父高崎正風をたよって上京、1878年工部美術学校に入学してサン・ジョヴァンニに師事する。1883年卒業後、工科大学博物館につとめ造家学科で画学を教え、のち東京大学造家学科助教助となる。翌年の松室重剛、堀江正章とともに美術会をおこし、画学専門学校を設立したが1年ほどで廃校。その後は自宅で門弟の指導にあたり、1889年明治美術会の創立に参加、評議員となり、翌年第3回内国勧業博覧会に出品する。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年)
カテゴリー:作家
ドランとは?【 作家名 】 フランス、シャトゥーに生まれる。アカデミー・カリエールやアカデミー・ジュリアンで学ぶ。マティスとは旧知の間柄。1900年ヴラマンクと知り合い共同のアトリエで制作する。1905年夏のマティスとの共同製作を経て、その秋、フォーヴィスムの名称がおこったさとれるサロン・ドトンヌに出品する。1907年ピカソ、ブラックらとの交流を通じて、キュビスムや黒人彫刻の影響を受ける。その後セザンヌの作風に近づくが、1911年以降はルネサンスの影響を受ける。また、1920年ごろからは、ドラクロワのロマン主義とコロー、クールベらの写実主義を折衷した、新古典主義風の独自の作風を確立する。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年) |
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