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たる パパ・イブラ・タル
ネグリチュードの詩人としても知られた文人大統領サンゴールが打ち出した、新生セネガルの発足に際しての文化振興政策の思想は、アフリカの伝統的な精神をベースにして、西欧近代の物質文明を同化してゆこうというものであった。当時、パリから戻ったばかりのパパ・イブラ・タルは、サンゴールの理想の実現に向けて、ダカールの若い美術家たちを指導し、積極的に助言をあたえるなどした。やがて、これら一群の作家たちをエコール・ド・ダカールと呼び称するようになるのだが、彼らは仮面や神像などの伝統的なモチーフをキュビスムの手法を取り入れて、半抽象の様式で描くことに活路を見いだした。1966年、ダカールで開かれた第一回世界黒人芸術祭で、エコール・ド・ダカールは華々しく登場することになる。パパ・イブラ・タルも、この時にイバ・ンジャエによって企画された〈現代美術−傾向と対峙〉展に出品している。ここではエコール・ド・ダカールの第一世代の美術家たちがどのような顔ぶれであったのか、よく知ることができる。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年)
カテゴリー:作家
ゲルラッハとは?【 作家名 】 1872年、ベルリンで美術書専門の出版社を設立、その発行人になる。1874年、ウィーンに移住。1882年、ウィーンでゲルラッハ&シェンク書店を設立。アレゴリー(新シリーズ)、「ヴェル・サクルム」(第一年次)、「ディ・クヴェレ」、「ゲルラッハ・ユーゲントビューヒェライ」 などの出版により、ウィーン青年派様式の重要首唱者の一人になる。 |
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