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鳴門



南鴨古祠図



南海観音立像



楠公訓児図



南国



ナンシーアトリエジャンプルヴェ



南城一夫



南泉斬猫



難波田龍起



難波田史男



ナンバー27



ナンバー43



ナンバー45



南仏 ヴァンスにて



南仏のアニス酒「フェリ45」



鳰沼



二月の頃



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西常雄



西雅秋


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かまら

フォデ・カマラ

カールに生まれる。同地の国立美術学校で絵を学ぶ。1981年に卒業後、とばらくはセネガルに留まって制作を続けていたが、87年フランスに渡り、パリ国立高等装飾芸術学校に入学。1989年に同校を卒えた後、現在に至るまで、パリとダカールを往復しながら活発な創作活動を続けている。「アフリカのためのアート」展(パリ,1988)や「熱帯地方のフランス革命」展(パリ,1989)をはじめ、多くの展覧会に参加している。年齢的にも、またサンゴールが退陣した直後の1981年に作家として出発したという点でも、カマラはエコール・ド・ダカールの第二、そして第三世代を担う画家だといえる。画風はエコール・ド・ダカール仕込みの半袖象から純粋印象までと幅広い。ガラス絵などセネガルの伝統工芸の技法に興味を示す一方、近年はコラージュを多用したり、時にはカンヴァス自体に様々な手を加えたりもする。カマラの基本的関心は、おそらくアフリカの同時代性をいかに描くかということにある。そして彼にとって、アフリカの同時代性を典型的に集約するのが、ダカールという都市に生き、そこで近代的な教育も受けた自己なのである。たとえば1992年の作品〈トーテム・〉には画面の中央にビニール・サンダルの片足が貼りつけられる。いうまでもなくサンダルはアフリカの、特に都市の下町では最もポピュラーな履き物で。サンダルは、伝統も近代も、夢も現実も丸ごとを抱えながら、それでも一日一日を地道に生きていく貧しいアフリカの市井の人のつまりカラマ自身の、存在と痕跡を鮮やかに表現しているのである。1965年生まれのファトゥ・ナムなど、彼よりさらに若い世代の作家たちにも少なからぬ影響を与えており、この面でも、「エコール・ド・ダカール」の第一世代のあとにあって、カマラが果たしている役割の大きさを窺い知ることができる。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年)


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平福百穂とは?【 作家名 】

1877年秋田県に生まれる。本名貞蔵。四条派の画家である父の平福穂庵から手ほどきを受けた後、1894年(明治27)に上京して、川端玉章に師事する。1897年東京美術学校日本画科に編入学する。1900年、玉章門下の結城素明らと无声会を結成。1913年(大正2)の无声会解散後は、同年に国民美術協会の創立に加ったほか、1915年に川端龍子小川芋銭らと珊瑚会を結成する。一方文展にも出品し、1914年の第8回展で3等賞を受賞、第9回展で褒状を受け、第11回展では特選となる。1916年には、松岡映丘、結城素明、鏑木清方、吉川霊華らと金鈴者を結成し、翌年の第1回展から1922年の解散時まで出品する。1922年の第4回帝展、1926年の第7回帝展では審査員をつとめ、1930年(昭和5)に帝国美術院会員、1932年には東京美術学校教授となった。大和絵、南画、琳派や桃山時代の絵画、中国古代美術などを広く学ぶとともに、歴史故実も研究し、多彩な画風を展開した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)

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