ぐるぐるアートワード
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原勝郎



原菊太郎



原健



原丹橋



原鵬雲







ハルス



ハルトフ



春日蜿々(白梅)



ハロルドジェニングス



版画集『大鴉』『大鴉』表紙



版画集『大鴉』胸像の上の大鴉−「パラスの像へと降り立った……」



版画集『大鴉』飛翔する大鴉:書票



版画集『大鴉』窓辺にて−「ここに私は鎧戸を開け放った……」



版画集『大鴉』椅子−「床の上に漂いつつ横たわるその影……」



版画集『大鴉』ランプの下で−「嘗て物寂しい真夜中に……」



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉1. フィリポ 邊梨保の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉10. タダイ 多駄伊の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉11. ヤコブ 也胡武の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉12. シモン 指聞の柵


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 作家(1701)

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こなて

アブドゥラエ・コナテ

マリのディレに生まれる。1972年から76年、国立美術学校(INA)の美術学部で絵画を学んだのち、78年まで、マリ国立博物館で技官として働いた。1978年はら85年、キューバのハバナに留学して、コナテは美術の学位を取得した。1976年ディレで最初の個展を開いたのち、84年、94年にはマリのフランス文化センター、86年、92年はマリ国立博物館で個展を開催した。またこの間、1983年、84年にはキューバ、88年にはコートジヴォワール、92年にはセネガルのダカールにあるIFAN美術館など、西アフリカを中心に定期的に作品を発表している。グループ展では、1978年マリの首都パナコで、国立美術研究所主催の「マリの若い絵描きたち」展に選ばれたのをはじめとして、83年からはキューバを拠点としてギャラリーやフランス文化センターなどで旺盛に作品を発表している。1990年にはパリのアフリカ・オセアニア美術館で発表し、91年にはマリ国立博物館での「交差する眼差し」展やワシントン、パリにおけるアフリカ現代美術普及協会による展覧会にも出品している。コナテは、アフリカの伝統的なモチーフを取り入れた平面作品を描いていたかと思えば、他方ではシャープな綿や面によって構成される幾何学的形態も自分のスタイルとして制作していたが、近年はインスタレーションの作品を手掛けている。コナテがそのようなインスタレーションの作品を発表するようになったのは1991年後半からで、この前半に独載的な前政権が倒れ、政治の面での自由が訪れたことは見逃せない。現在、マリの芸術家協会、およびICOMの会員であるコナテは、マリ国立博物館所属の作家でもある。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年)


カテゴリー:作家
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ピサロとは?【 作家名 】

デンマーク領、西インド諸島セント・トマス島に生まれる。1855年画家を志してパリに行き、コロークールベに感銘して風景画を描く。1859年にはモネに会う。サロンに数回出品するが落選し、1863年の落選展に出品する。普仏戦争中の1870年、一時ロンドンへ亡命し、モネとともにイギリスの風景画を研究する。印象派展に1874年の第1回から86年の第8回まで毎回出品を続け、印象派の代表的作家の一人となる。また、セザンヌゴーギャンやスーラ、シニャック印象派に導いた人格者でもある。穏やかな田園風景や街並みを多く描く。一時スーラの新印象主義にひかれ、点描の技法も用いる。パステル、グワッシュにも佳作が多い。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年)

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徳島県立近代美術館2006