ぐるぐるアートワード
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アペル



阿房宮図



アマタシャ



雨田光平



網打つ人 - II



編革ひもシートのインスブルック・ローデルそり



編物をする羊飼いの女(羊飼いの女、大)



アムステルダム国立博物館1







雨のために



アメリカセイ



アメリカの風景



荒井寛方



洗い髪



荒川修作



荒木寛畝



荒木十畝



荒木高子



荒木珠奈






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 作家(1701)

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あなぱ

アナパ

アビジャンに生まれる。本名アリスティッド・アシィ。のちにアビジャン近郊の街バンジェルに移り、その地で小中学校を終える。その後、アビジャンの公立高校リセ・クラシックを卒業し、1981年に国立美術学校に入学、建築を専攻する。1987年、同校を卒業し、アビジャン近郊の街ダブゥの公立高校リセ・モデルヌ1に美術教師として赴任。1989年にはアビジャンのクマシ地区の公立高校リセ・モデルヌに転勤し、現在に至る。もとは建築を学んだアナパが独学で絵画を学び始めたのは1989年のことで、国立美術学校時代の友人に感化されたものと思われる。最初はヴォウヴォウ運動の影響を受けていたが、1991年にカメルーン出身の舞台アーティストのビンダ(彼はコートジヴォワールの劇団キ・イ・ンボックの主要スタッフであったが、90年に同劇団を退団している)と出会い、二人でアビジャンの都市環境を題材として新しい表現形式を模索し始める。テーマとして二人が選んだのがアビジャンのストリート文化である。不良、街娼、ゲットー、レゲエ、ラップ…… こうしたアビジャンのストリート文化をラフなタッチで、時に新聞、雑誌のコラージュを混ぜながらカンヴァスの上に描いてゆくアナパのスタイルは、コートジヴォワールのこれまでの絵画シーンにはなかったものである。カンヴァスに木枠をつけずに、そのまま提示するのは彼の案出したスタイルであり、主張でもある。1994年には、アビジャンのフランス文化センターで個展を開いた。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年)


カテゴリー:作家
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三宅克己とは?【 作家名 】

1874年徳島県に生まれ、1954年に没した。旧徳島藩江戸留守居役だった父が、蜂須賀家の養育係となったため、6歳のとき家族で東京に移住。近所には、洋画家・高橋由一の画塾があり、絵に関心をもつようになったと言われている。大野(曽山)幸彦、原田直次郎に洋画を学ぶが、来日中のイギリス人画家ジョン・ヴァーリー(バーレイ)の水彩画に感動し、水彩画家を目指すようになった。1897年、アメリカに渡り、一時イェール大学付属美術学校でも学んでいる。翌年ロンドンに移り、フランスやベルギーを経て帰国。その後、日本各地はもちろん、ヨーロッパ、アメリカ、中国へたびたび出かけ、風景画を描き続けた。1899年白馬会会員。同会の解散後は、光風会の創立に参加。1907年に文展(文部省美術展覧会)が開設されると、第一回展から出品し、以後、文展帝展(帝国美術院美術展覧会)、新文展、戦後の日展で活躍。1915年の文展で2等賞(最高賞)を受賞。翌年から無鑑査となり、帝展、新文展では審査員もつとめた。水彩画を独立した洋画の一分野ととらえ、透明水彩の繊細な表現を追求するとともに、水彩画に関する著書を多数刊行するなど、水彩画の普及に尽力した。昭和初期には、写真に関する啓蒙書も執筆。晩年の1951年、日本芸術院恩賜賞を受賞している。

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