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あずめ ロミュアルド・アズメ
ベナンのポルト・ノヴォに生まれる。彼は美術を誰に習うこともなく、独学で学んだ。1989年を皮切りに、アズメは積極的に展覧会に出品している。個展はほぼ毎年のようにベナン、ナイジェリア、ガーナ、マリ、セネガル、コートジヴォワールなどのフランス文化センターを中心に開かれ、1991年にはドイツ、92年にはフランスのリモージュでも開かれた。グループ展は1990年のフランスのボルドーでの「アフリカ/アンティル諸島祭」展をはじめとして、同年コンゴでの「対話:フランス/アフリカ」展フィンランドのヘルシンキでの「美術の暗闇」展などに出品、92年にはロンドンの「アウト・オブ・アフリカ」展、93年にはフランス、ナント美術館での「大いなる真実、アフリカの星」展や、イギリス、アイルランドを巡回した「セカンド・サイト」展に出品した。1994年フランス、リモージュの公園の中での「芸術家の野営」展、さらに95年には南アフリカでのヨハスブルク・ビエンナーにも出品している。アズメは、身の回りの品々、たとえば古着や機械の部品、ポリタンなどを、その形態から喚起されるイメージを少しばかり読み換えては組み合わせ、アフリカの伝統的な造形を思わせる作品を制作する。そこには現代のアフリカでの生活の中から生まれるユーモアがあって、生み出された造形物の中に知的で独特な世界観や造形哲学を読み取ることができるだろう。彼は現在も、生まれ故郷であるポルト・ノヴォに住み、制作を続けている。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年)
カテゴリー:作家
ヘップワースとは?【 作家名 】 1903年イギリスに生まれる。1975年没する。リーズ・アート・スクールを経て、ヘンリー・ムーアらとともにロンドンのロイヤル・アカデミーに学んだ後、イタリアに滞在してアルディーニの影響をうける。1931年画家ベン・ニコルソンと出会い、翌年結婚する。広くヨーロッパの前衛作家と交流し、1932年カンディンスキー、モンドリアンらとともに厳密な非具象を追求する美術団体「抽象・創造」の結成に参加、33年夫のニコルソン、ヘンリー・ムーア、批評家ハーバート・リードらとユニット・ワンを結成する。1939年セント・アイヴスにアトリエを移して以来、自然と人間の関係に啓示をうけ、宇宙感に満ちた独自の人間的な造型を進め、1959年サンパウロ・ビエンナーレ展で大賞を受賞する。ヘンリー・ムーアとならんでイギリスの現代彫刻を代表する作家と目され、セント・アイヴスにヘップワース美術館が設立される。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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