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あなつい

エル・アナツイ

アニャコに生まれる。クマシ工科大学で美術を学んだ後、1969年よりウィネバ・スペシャリスト・トレーニング・カレッジの美術教育学部で教職につき、75年からはナイジュリア大学ンスカ校で現在に至るまで教鞭をとっている。1976年にンスカのアセレ・アート・ギャラリーで木製壁飾りの個展を開く。1979年にはナイジュリアのボート・ハーコートでの「ンスカ派」の展覧会に参加する。ンスカ派とは、ナイジュリア大学ンスカ校の美術学部に集まった様々なジャンルの作家たちの総称であり、この一派を代表する作家として、エル・アナツイは活躍を続ける。1980年以降は数々の展覧会に出品し、いろいろなメディアにも登場する機会を与えられる。1990年から92年までアメリカ合衆国の5都市を巡回した「現代アフリカの美術作家:変貌する伝統」展に、また、90年には第44回ヴェニス・ビエンナーレの「5人の現代アフリカ美術作家」展に参加するなど、国際的な舞台での活躍も目立つようになっている。1995年秋にはロンドンのオクトーバー・ギャラリーで個展を開催。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年)


カテゴリー:作家
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土田麦僊とは?【 作家名 】

1887年新潟県に生まれる。本名金二。弟茂(つとむ)は後の思想家土田杏村で、国画創作協会の結成にも協力する。1903年(明治36)、僧になるため京都に出たが、画家を志して預けられた智積院から出奔、まず鈴木松年の門に入り、松岳と号した。しかし旧派の松年に飽き足らず、04年竹内栖鳳に入門して麦僊の号を受ける。翌年から新古美術品展に出品。08年の第2回文展で〈罰〉により3等賞を受賞。09年新設の京都市立絵画専門学校別科に入学、11年に卒業した。この間、黒猫会、仮面会を結成し展覧会を開いた。絵専卒業制作〈髪〉により第5回文展で褒状。中井宗太郎や雑誌「白樺」の影響で西洋美術に触れ、〈島の女〉(第6回文展)、〈海女〉(第7回文展)などを発表。1918年(大正7)には、竹喬、紫峰、華岳らと国画創作協会を結成、第1回展に〈湯女〉を出品。1921年竹喬、晩花らと渡欧、ルノワールの画室を訪門するなど西洋美術に直接触れ、23年帰国。翌24年第4回国展には〈舞妓林泉〉を出品。1928年(昭和3)の国画創作協会解散後は官展に復帰した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)

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