大阪府に生まれる。1891年頃東京に移り、五姓田芳柳に学ぶ。その後小山正太郎の不同舎に移る。1900年、
満谷国四郎、
丸山晩霞、
鹿子木孟郎らとともに渡米し、翌年ヨーロッパに渡る。パリでは
アカデミー・コラロッシュに入って
ラファエル・コランに師事。また
アカデミー・ジュリアンにも学んだ。1904年に帰国。一時京都に住むが再び上京して太平洋画会に参加。
大下藤次郎の
水彩画講習所の開設に協力して講師をつとめる。1912年に京都に移住。関西美術院の教授となり、関西美術会の審査員などもつとめた。1913年の日本
水彩画会の創立には発起人となる。(「みづゑのあけぼの
三宅克己を中心として」図録 1991年)

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マックス・クリンガーとは?【 作家名 】

19世紀末の
象徴主義的な傾向と、ユーゲントシュティールや
分離派の動きも取り入れた独特の具象的な作風で知られる。1899年には
ベルリン
分離派の結成に参加する。第14回ウィーン
分離派展(1902年)では、代表作となるベートーヴェン像を出品して注目を集め、
銅版画による「手袋」の連作(1881年)は、後のシュルレア
リストたちの関心を引くなど、絵画、彫刻、版画など多岐にわたって存在感を示した。

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