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食前の祈り[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]



植物のシルエット



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



食物用かご



書斎のドンキホーテ



初秋


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ほばーまん

ニッキー・ホバーマン

1967年南アフリカに生まれる。南アフリカとポルトガルの二つの国籍を持つ。1986年から89年の間オックスフォード大学で近代史を学び、その後パリの美術学校を経て、1995年チェルシー芸術大学大学院を修了。1996年より個展やグループ展で作品を発表し始める。1997年には「My Little Pretty」展(シカゴ現代美術館)に出品し、アメリカにおいて、英国の有望な若手作家として一躍注目を浴びる。同年、オーストラリアにおける巡回企画展「英国からの美術」においても、シドニー現代美術館をはじめとして各地を巡回する中で、大いに注目される存在となった。またこの年は、英国のウエストミンスター銀行から若い芸術家に与えられる芸術文化奨励賞を受賞する。ホバーマンの題材は、これまでのところ一貫して小さな女の子たちで、彼女らをつぶさに観察することを通して、彼女たちの中に現代社会のありさまや問題を見出し、彼女たちの像を拡大してみたり歪ませてみたりしながら、筆跡を残さない描き方や独特の空間構成により、アイロニカルな世界を展開する。現在、ロンドン(イギリス)在住。


カテゴリー:作家
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橋本雅邦とは?【 作家名 】

石見浜田藩主松平周防守の御用絵師、橋本養邦の子として、江戸に生まれる。養邦は、木挽町狩野家の狩野養信門下であった。幼名千太郎。狩野養信、雅信に入門。同門の狩野芳崖の帰郷後、弟子頭(塾頭)となった。万延元年(1860)に独立するが、幕末から明治維新の混乱期は、生活が困窮し、明治4年(1871)海軍兵学校に出仕。足かけ15年勤務する。明治15年(1882)頃から、内国絵画共進会などで受賞を重ね、フェノロサや岡倉天心の評価を得、鑑画会に参加。東京美術学校教授となり、天心のもとで、横山大観下村観山菱田春草などを育てる。明治23年(1890)帝室技芸員。明治31年(1898)には、天心に殉じて美術学校を退職し、日本美術院の創立に参加。主幹として院の運営をつとめた。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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