1871年静岡県に生まれる。その後東京に移り、1888年逓信省東京電信学校に学ぶ。1889年大蔵省印刷局に入り、1891年に明治美術会に入会。
浅井忠、川村清雄などに指導を受け、明治美術会解散後巴会に加わる。1905年に
大下藤次郎を知り、『みづゑ』にア
ルフレッド・イーストの翻訳を掲載。1913年、日本
水彩画会の創立に参加。1922年渡欧。1924年台湾に渡る。台北師範学校嘱託となり、台湾
水彩画会を創立。台湾美術展の審査員などをつとめる。1932年帰国。その後日本
水彩画会顧問となる。(「みづゑのあけぼの
三宅克己を中心として」図録 1991年)