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たいむとぅふらい Time to Fly
靉嘔の本名は、飯島孝雄。母音(アイウエオ)の中からアイオを選び、ペンネームとしたという。池田満寿夫らとグループを結成、前衛作家として注目を集めていたが、27歳の若さで渡米する。以後、ニューヨークを拠点にポップアートの作家として活躍する。虹(にじ)色の作品でよく知られるようになり、今日「虹色の作家」として、世界的に有名である。可視光線を分解したスペクトルを物体に投射すると、虹色のストライプが出来、物体の固有色が無くなる。それはエックス線を投射して物体の本質を探る様であり、靉嘔にとって虹色は、物体の本質を表現する重要な手段であった。この作品も、24色に分解された虹色のストライプによって描かれており、第11回サンパウロビエンナーレ展でブラジル銀行賞を受賞している。まるで裸婦が空中へ飛翔するかの様であり、時の経過を象徴的に表している油彩画の代表作と言えよう。(仲田耕三「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1988年09月20日掲載)
カテゴリー:作品
満谷国四郎とは?【 作家名 】 岡山県総社市に生まれる。明治24年(1891)中学校を中退し画家を志し上京。五性田芳柳に師事。翌年小山正太郎の不同舎に移る。明治29年に明治美術会展に出品した「林大尉の戦死」、同31年に出品した「尾道港」がともに宮内庁に買上げられ一躍有名となった。明治33年鹿子木孟郎、丸山晩霞らと米国経由で翌年欧州に渡る。パリでジャン・ポール・ローランスに師事、同34年に帰国。明治美術会解散のあと明治35年には吉田博、中川八郎、大下藤次郎らと太平洋画会を結成。明治40年東京府勧業博覧会美術展で「かりそめのなやみ」が一等賞を受ける。この年より文展の開催に際して、審査員として出品する。明治44年再度渡欧する。大正3年(1914)に帰国、ルノアール、セザンヌの影響を受け、画風が客観性に根ざした主観的表現へと大きくる変化、色彩も明るくなる。そしてさらに晩年は単純化と東洋的な装飾性を盛り込んだ独自の作風を築き上げた。大正14年には帝国美術院会員となった。(「東四国阿波讃岐風景画展」図録 1993年) |
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