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だぶりゅけいかく W計画
キャンバスに彩色したとは思えないほど丁寧に仕上げられた、光沢のある黒い面と白い面は、部分ごとに作られてそれぞれ結合されている。従ってそれぞれの部分の継ぎ目は、まるでキャンバスに割れ目が入ったような効果を持つ。端が丸くなった三つの黒い棒状のものが一点で重なっているだけの画面である。はじめ具象的な絵画を描いていた高橋が、その画風を変えるのは1963年にイタリアへ渡ってからである。フォンタナが切り込んだキャンバスの裂け目が導く無限空間と、その節度ある一種の幾何学的フォルムは彼に新しい手掛かりを与えた。形や色が持つ意味から余計なものを取り除き、還元して得られた無機質な形や色を明確な関係で構成する。ただの無意味なものになるかならないかの、ギリギリの接点に彼は立っている。割れ目を持つ人間の姿のように見えるこの作品では、無機質なものがエロスを伴って、軽やかに蘇生している。(友井伸一「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1990年01月17日掲載)
カテゴリー:作品
ベルガーとは?【 作家名 】 1892年ウィーンに生まれる。1911年よりウィーン工芸学校在学。O.シュトルナートとJ.ホフマンに師事。ウィーン工房のためにテキスタイル、銀器をデザインした。同じく工房に参加していた、O.レンゲッテが1917年に編集したモード雑誌『婦人世界』のグラフィックに協力。ビミニ社のためのガラス器をデザインした。ウィーン市の建築計画に従事1920−36年、30本以上の映画のセットの仕事をし、代表的なものに1920年の「王子と乞食」、1923年の「デア・ユンゲ・メダルドウス」、1927年の「カフェ・エレクトリック」などがある。1936年からモスクワに移り、1981年同地で歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年) |
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