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おんなとふうけい 女と風景
静ひつで不思議な空間である。そして、その中に在る一人の美しい女。女の目は観る者の目を拒むかのように鋭く、冷めている。女と彼方の空を結ぶ宙に浮いた階段、あるいは地平線までも覆い隠して大海のように波打つ広大な敷布。「女と風景」と題されているが、実はこれらによって近景と遠景が結びつけられており、空間の均衡が綿密に計算され、保たれている。画面中央部で、右半分の画面が剥がれ落ちかけており、敷布上の果実の痕跡と相まって、時の経過をキャンバスの上に留めてしまったような作品である。精緻な画面構成が、絵の前に佇む者の空間把握を混乱させてしまう。そしてキャンバスと向き合った時、えもいわれぬ幻想的な世界へ誘い込まれてゆくのである。三尾公三はアクリル絵の具をエアーブラッシュで吹きつけるという技法で、新たな表現の道を拓いた。その洗練された画面は、現代の都市空間と無理なく融合している。(吉原美惠子「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1990年05月16日掲載)
カテゴリー:作品
ネオ・ダダとは?【 美術用語 】 1950年代の末、ニューヨークにおいて、ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズが、あいついで個展を開いた。当時の美術の世界は、抽象表現主義が全盛をきわめていたが、その中で彼らは、日常の具体的、卑俗的な、すぐそれと知れるようなものを画面に登場させ、大胆な画風を示した。ラウシェンバーグは、絵画に布や写真、印刷物などを加えて、雑多なイメージを画面に集めてくるコンバイン・ペインティングを、ジョーンズは国旗や標的などを画面にクローズアップすることで、反芸術の新しい表現スタイルをうちだした。これらの創作活動を、芸術に対する挑戦的な姿勢とみなし、「ダダの再来」という意味でジャーナリストが名付けたものが「ネオ・ダダ」である。日本も1960年の読売アンデパンダン展に、ネオ・ダダ・オルガナイザーズというグループが出品するなど、影響を受けている。ネオ・ダダは抽象表現主義につづき、後のポップ・アートの出現をまつことになる。 |
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