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ぼし 母子
中本達也は自由美術家協会員として活躍し、第3回安井賞を受賞した画家だが、51歳という年齢で志半ばに没したため、いわゆる大家としての名声を得たわけではない。しかし彼の人間追求の画業は、前衛的な表現が隆盛となった戦後の美術史のなかで、独自の位置を占めている。彼の初期の作品には、病に倒れた母の肖像や、自然に鍛えられたたくましい肉体を持つ漁師を描いた作品があるが、褐色の色彩を塗り重ねた重厚な絵膚に、不安や苦悩と共に、生きることの素朴で純粋な意味をも塗り込めている。子と、子を抱き乳を吸わせる母親の姿を描いたこの「母子」も、そのような初期の画風を端的に示した作品と言えるだろう。彼の表現には、生まれ育った瀬戸内の島の心象風景と共に、母性への屈折した憧憬(どうけい)があると言われる。しかしその個人的でローカルなところに根を持つ彼の芸術が、戦後美術の問い直しのなかで改めて注目されている。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年01月24日掲載)
カテゴリー:作品
タルとは?【 作家名 】 ネグリチュードの詩人としても知られた文人大統領サンゴールが打ち出した、新生セネガルの発足に際しての文化振興政策の思想は、アフリカの伝統的な精神をベースにして、西欧近代の物質文明を同化してゆこうというものであった。当時、パリから戻ったばかりのパパ・イブラ・タルは、サンゴールの理想の実現に向けて、ダカールの若い美術家たちを指導し、積極的に助言をあたえるなどした。やがて、これら一群の作家たちをエコール・ド・ダカールと呼び称するようになるのだが、彼らは仮面や神像などの伝統的なモチーフをキュビスムの手法を取り入れて、半抽象の様式で描くことに活路を見いだした。1966年、ダカールで開かれた第一回世界黒人芸術祭で、エコール・ド・ダカールは華々しく登場することになる。パパ・イブラ・タルも、この時にイバ・ンジャエによって企画された〈現代美術−傾向と対峙〉展に出品している。ここではエコール・ド・ダカールの第一世代の美術家たちがどのような顔ぶれであったのか、よく知ることができる。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
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