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ふしぎなくにA 不思議な国A
難波田は日本を代表する抽象画家の一人だが、抽象的な表現を手がけたのは予想に反してかなり遅く、40歳代も半ばを過ぎてからである。難波田が若いころ、彼の周辺ではヨーロッパからの影響を受けて抽象的な表現を試みる者が多かったが、このような風潮に対して「自分で抽象をはっきりつかめないのに、形式的に抽象絵画に入るのはいけないことだ」と考えていたという。79歳の時の作品「不思議な国A」は細やかな形が抑えられた色彩で、一つひとつ丹念に描き込まれ、静謐(ひつ)で深い詩情をつくり出している。時流に流されることなく、自分の目で確かめて獲得した抽象表現がこの作品によく表れている。難波田は、早稲田第一高等学院の学生だったころから、詩人・高村光太郎と親しく交わり、自分でも文学を志すことがあったというが、画面にあふれる詩情はこのことと無縁ではないだろう。(江川佳秀「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1988年09月06日掲載)
カテゴリー:作品
ジャスパー・ジョーンズとは?【 作家名 】 1930年アメリカに生まれる。サウスカロライナ州立大学で学んだ後、1949年には兵役で仙台に半年いたこともある。1952年にニューヨークに出た後、54年にラウシェンバーグと出会う。同年、星条旗を描き始め、翌年には標的の、そして数字の作品も描き始める。1958年にレオ・キャステリ画廊で初個展を開き、59年にはデュシャンと出会う。1960年代には缶やほうきなどを画面にはりつけた作品を制作。1970年代には、敷石のイメージや網目模様の作品も描くようになる。1964年にはロンドンのホワイトチャペル画廊で、77年にはホイットニー美術館で回顧展。1986年にはニューヨーク近代美術館で版画の回顧展が行われた。彼の描く星条旗は、旗の絵ではなく旗そのものではないだろうか、という問いは、芸術作品の意味作用そのものに対する問いでもある。抽象表現主義とポップ・アートをつなぐネオ・ダダの重要な1人として、その評価は高い。 |
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