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ふしぎなくにA 不思議な国A
難波田は日本を代表する抽象画家の一人だが、抽象的な表現を手がけたのは予想に反してかなり遅く、40歳代も半ばを過ぎてからである。難波田が若いころ、彼の周辺ではヨーロッパからの影響を受けて抽象的な表現を試みる者が多かったが、このような風潮に対して「自分で抽象をはっきりつかめないのに、形式的に抽象絵画に入るのはいけないことだ」と考えていたという。79歳の時の作品「不思議な国A」は細やかな形が抑えられた色彩で、一つひとつ丹念に描き込まれ、静謐(ひつ)で深い詩情をつくり出している。時流に流されることなく、自分の目で確かめて獲得した抽象表現がこの作品によく表れている。難波田は、早稲田第一高等学院の学生だったころから、詩人・高村光太郎と親しく交わり、自分でも文学を志すことがあったというが、画面にあふれる詩情はこのことと無縁ではないだろう。(江川佳秀「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1988年09月06日掲載)
カテゴリー:作品
ブラックモンとは?【 作家名 】 パリに生まれたブラックモンは、日本美術の影響を受けた最初の西欧の芸術家と考えられている。鳥と花が描かれた版画の劇的な構図の効果や、ルソーの食器セット(1866年)のデザインに、ジャポニスムの影響が現れており、おおむね北斎の絵本類から着想を得たものである。ジャングラール協会という日本美術の研究を唱道する芸術家、批評家の集団の創立メンバーとして1860年代半ば頃、毎月会合を開き、フィリップ・ビュルティ、ザカリ・アストリュック、アンリ・ファンタン=ラトゥール、ジュール・ジャックマール、M・L・ソロン、アルフォンス・イルシュらと日本美術について語りあった。1874年に日本の多色刷木版画を真似た最初の多色刷エッチングを制作した。多くの画家や版画家との交友を通して日本美術の喧に努め、テオドール・ルソー、オーギュスト・ルペール、アルベール・ベナールら多くの画家にエッチングを教えた。1889年、アンリ・ゲラールやフィリップ・ビュルティと共に画家=版画家協会年次展覧会創立に貢献した。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録) |
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