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ふしぎなくにA 不思議な国A
難波田は日本を代表する抽象画家の一人だが、抽象的な表現を手がけたのは予想に反してかなり遅く、40歳代も半ばを過ぎてからである。難波田が若いころ、彼の周辺ではヨーロッパからの影響を受けて抽象的な表現を試みる者が多かったが、このような風潮に対して「自分で抽象をはっきりつかめないのに、形式的に抽象絵画に入るのはいけないことだ」と考えていたという。79歳の時の作品「不思議な国A」は細やかな形が抑えられた色彩で、一つひとつ丹念に描き込まれ、静謐(ひつ)で深い詩情をつくり出している。時流に流されることなく、自分の目で確かめて獲得した抽象表現がこの作品によく表れている。難波田は、早稲田第一高等学院の学生だったころから、詩人・高村光太郎と親しく交わり、自分でも文学を志すことがあったというが、画面にあふれる詩情はこのことと無縁ではないだろう。(江川佳秀「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1988年09月06日掲載)
カテゴリー:作品
鹿子木孟郎とは?【 作家名 】 1874年岡山県に生まれる。1888年岡山高等小学校を卒業、松原三五郎の天彩画塾に学ぶ。1892年上京して小山正太郎の不同舎に学ぶ。1900年渡米、翌年イギリスを経てパリに留学。ジャン・ポール・ローランスに師事する。1903年ベルギー、スイス、イタリアを巡歴。翌年帰国、京都高等工芸学校講師となる。また太平洋画会に参加し多くの作品を発表。1905年浅井忠らと関西美術院を設立。翌年再び渡仏、サロンに入選。文展審査員に選ばれ、第7回文展まで審査員をつとめる。1916年渡仏、1918年帰国し京都に下鴨画塾を開設。1924年帝国審査員となり以後歴任。1932年仏政府より勲章を受ける。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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