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ふじんぞう 婦人像
生前の林武は、構図についていくつかの著述を残している。そこには、天地の公理は右巻きだが、人間の公理は左巻きであって、その接するところがヘソであるといったことが書いてある。読み物としては面白いのだが、実のところ全く要領を得ない。ところが作品を見ると、林が一貫して構図を追求した画家だったことがよくわかる。やはり画家は作品を通じて語るものなのだろう。この作品は初期のものだが、すでに構図に優れた林の資質がよく現れている。見開いた目、黒く存在感のある髪、うねるようなブラウスのヒダなど、一つひとつは自己主張が強く、騒しいが、まっすぐ垂れた襟の直線、キャンバスの下辺で切れた手などがしっかりと要所を押さえ、見事なまでに一つの画面として統一されている。美しい婦人像とはほど遠いが、生き生きとした躍動感のある画面となっている。自らの構図法を求めて試行錯誤していた若い日の林の果敢さがしのばれるようである。(江川佳秀「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1988年09月27日掲載)
カテゴリー:作品
シスレーとは?【 作家名 】 1839年フランスに生まれる。1899年没する。イギリス商人の子としてパリに生まれる。美術教師シャルル・グレーズのアトリエで絵を学ぶ。同じアトリエに学んでいたルノワール、モネらと知り合う。バルビゾン周辺やセーヌ川などで制作し、また、後に印象主義をになう画家たちの集まったカフェ・ゲルボアに出入りする。1874年第一回印象派展に出品し、以後も風景を得意とする印象主義の画家の一人として活躍する。不遇な時期が長く、最晩年にようやく評価されはじめたが、念願のフランス帰化を果たせないまま、貧困のうちに没した。 |
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