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ふじんぞう 婦人像
生前の林武は、構図についていくつかの著述を残している。そこには、天地の公理は右巻きだが、人間の公理は左巻きであって、その接するところがヘソであるといったことが書いてある。読み物としては面白いのだが、実のところ全く要領を得ない。ところが作品を見ると、林が一貫して構図を追求した画家だったことがよくわかる。やはり画家は作品を通じて語るものなのだろう。この作品は初期のものだが、すでに構図に優れた林の資質がよく現れている。見開いた目、黒く存在感のある髪、うねるようなブラウスのヒダなど、一つひとつは自己主張が強く、騒しいが、まっすぐ垂れた襟の直線、キャンバスの下辺で切れた手などがしっかりと要所を押さえ、見事なまでに一つの画面として統一されている。美しい婦人像とはほど遠いが、生き生きとした躍動感のある画面となっている。自らの構図法を求めて試行錯誤していた若い日の林の果敢さがしのばれるようである。(江川佳秀「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1988年09月27日掲載)
カテゴリー:作品
ダリとは?【 作家名 】 1904年スペインに生まれる。1989年没する。1921年マドリードのサン・フェルナンド王立美術アカデミーに入るが、突飛な行動を繰り返し、26年には退学処分となる。はじめは未来派やキュビスムに興味を持ったが、そのうちに、デ・キリコやとりわけフロイトの『夢判断』に強烈な影響を受ける。そして自ら「偏執狂的批判的方法」を発見し、精密な写実と幻想とを結びつける独自の様式を生み出した。1927年にはパリに行きピカソと知り合った。1929年から30年には友人ブニュエルと〈アンダルシアの犬〉等の映画を作る。1929年パリの個展によってシュルレアリスムの一員に加えられるが、34年、ブルトンとの不仲から除名される。第二次世界大戦中の1940年にアメリカに亡命し、名声を得る。1948年にはスペインに戻り、版画や宝石デザインなどの分野でも活躍、商業的な成功も得た。スキャンダラスなその生涯は、彼の評価を分けてはいるが、ある意味で今後のシュルレアリスムの存続を考える上での鍵を握る人物の1人であるといえよう。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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