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ふじんぞう 婦人像
生前の林武は、構図についていくつかの著述を残している。そこには、天地の公理は右巻きだが、人間の公理は左巻きであって、その接するところがヘソであるといったことが書いてある。読み物としては面白いのだが、実のところ全く要領を得ない。ところが作品を見ると、林が一貫して構図を追求した画家だったことがよくわかる。やはり画家は作品を通じて語るものなのだろう。この作品は初期のものだが、すでに構図に優れた林の資質がよく現れている。見開いた目、黒く存在感のある髪、うねるようなブラウスのヒダなど、一つひとつは自己主張が強く、騒しいが、まっすぐ垂れた襟の直線、キャンバスの下辺で切れた手などがしっかりと要所を押さえ、見事なまでに一つの画面として統一されている。美しい婦人像とはほど遠いが、生き生きとした躍動感のある画面となっている。自らの構図法を求めて試行錯誤していた若い日の林の果敢さがしのばれるようである。(江川佳秀「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1988年09月27日掲載)
カテゴリー:作品
戸張孤雁とは?【 作家名 】 1882年東京に生まれる。1901年洋画研究のため渡米し、06年に帰国する。1910年太平洋画会研究所彫塑部に入門し、同年第4回文展に「をなご」を出品する。1916年再興第3回院展に「ムスメ」「若き男の像」他を出品する。1917年には日本美術院同人となる。1927年東京で死去。アメリカで苦学をしながら、洋画、デッサンを学んでいた戸張は、ニューヨークのナショナル・アカデミーで荻原守衛と知り合ったことで、彫刻家への道を進むことになる。ロダンの作品からも多大な影響を受け、生命感にあふれた大胆なデフォルマシォンを特徴とする象徴性の高い作品を制作した。また版画家としても活躍し、1919年には山本鼎、織田一磨らと日本創作版画協会を創立し、「創作版画と版画のつくり方」を刊行した。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年) |
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