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おほり お堀
横尾がまだ今ほど有名でなかった1966年、ポップ・アートの影響が濃厚な絵を20点ならべた個展を開いた。毒々しいまでの色彩で描かれた俗悪とさえ言えるそれらの作品に、会場を訪ねた客には拒絶反応を示したものも少なくなかったという。この作品はその時の一点で、皇居の堀で泳ぐ若い女性を描いている。その後のグラフィックデザイナーとしての活躍は言うまでもないだろう。国内外で注目を集め、1972年にはニューヨーク近代美術館で現存のグラフィックデザイナーとして開館以来初めての個展を開いている。デザイナーとしての横尾は常に時代を意識した作品を発表してきた。この作品も安保闘争、ポップの流行など、若者が幅広い発言を始めた60年代という時代を正確に反映していて横尾の資質がよく現れている。また近年は画家に専念しており、画家横尾の原点を示す作品だともいえよう。(江川佳秀「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年03月29日掲載)
カテゴリー:作品
構成主義とは?【 美術用語 】 ロシア革命前から1920年代にかけてソ連で展開された芸術運動。ウラジーミル・タトリンが1913年に始めた鉄板や木片によるレリーフを「構成」と呼んだのを発端とする。現実の素材による非再現的構成という造形理念は、ロドチェンコなど多くの共鳴者を得て、構成主義という運動に発展し、モスクワの前衛美術界を、マレーヴィチの提唱したシュプレマティズム(絶対主義)と二分した。革命後は、革命政府の美術政策の推進勢力となり、絵画、彫刻をブルジョワ芸術として否定するとともに、鉄・ガラスなどの工業生産物の使用と社会的効用性を主張し、建築・デザイン・舞台美術などの分野にも拡がり、1920年には造形芸術の各分野をほとんど支配した。運動としては1919年頃から効用派と純粋造形派とに分裂し、純粋造形派のペヴスナー、ガボらは運動を離れ、効用派もその後産業との一体化を推進したが1930年代に政府より批判され終結したが、国外の抽象芸術運動に与えた影響は大きい。タトリンの「第3インターナショナル記念塔(模型)」はその代表的作品。 |
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