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あんたいとるど2![]() UNTITLED 2 ![]()
口を半ば開き、眉をつり上げ、熱っぽい視線をこちらへ投げかけるマリリン・モンロー。かつてウォーホルが嫌というほど、反復してみせたこの肖像を、井原康雄もまた取り上げた。肖像はキャンバスにではなく、三十個に分断された、朽ちた壁のような厚い板に転写されている。そして表面には無数のきれつ、剥落がみられる。それは無論、作者の手によるものであるが、見るものはこの壁が、やがては時とともに朽ち果て、マリリンも跡形なく消え去ってしまうのではないかと予感するかもしれない。作者は、このような風変わりな技法でもスターの似顔が描けることを示しているわけではない。その土台が崩れてもなお永遠に残り続けるイメージを、写真から引き出しているのである。それを、私たちの目に焼きついた、マリリンの残像と考えてみてはどうだろう。(竹内利夫「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1990年12月07日掲載)
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カテゴリー:作品
![]() ![]() ![]() アンリ・ローランスとは?【 作家名 】 ![]() 1885年フランスに生まれる。1954年没する。始めパリで装飾や彫刻の勉強をしながらロダン風の彫刻を作る。1911年、ピカソ、ブラック、レジェらと出会い、とりわけブラックを通してキュビスムを知る。パピエ・コレなどの実験的な制作を糧にして、キュビスムを彫刻に適用した草分けの一人としてリプシッツと共に評価されている。1913年と14年にアンデパンダン展に出品する。1921年から画商カーンワイラーが彼の作品を扱う。1925年、パリ装飾芸術博覧会でル・コルビジェ設計のパビリオンに出品する。この頃の彫刻には独特の彩色が施されている。1925年以降はキュビスムを脱して、有機的で自然主義的な形を創造しようと努めた。また彫刻のみならず絵画や挿絵、装飾の分野でも活躍する。1935年にはヘレナ・ルビンスタイン賞を受賞、49年にはブリュッセルのパレ・デ・ボザールで、51年にはパリの国立近代美術館で回顧展が開かれた。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) ![]() ![]() ![]() |
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