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あんたいとるど2 UNTITLED 2
口を半ば開き、眉をつり上げ、熱っぽい視線をこちらへ投げかけるマリリン・モンロー。かつてウォーホルが嫌というほど、反復してみせたこの肖像を、井原康雄もまた取り上げた。肖像はキャンバスにではなく、三十個に分断された、朽ちた壁のような厚い板に転写されている。そして表面には無数のきれつ、剥落がみられる。それは無論、作者の手によるものであるが、見るものはこの壁が、やがては時とともに朽ち果て、マリリンも跡形なく消え去ってしまうのではないかと予感するかもしれない。作者は、このような風変わりな技法でもスターの似顔が描けることを示しているわけではない。その土台が崩れてもなお永遠に残り続けるイメージを、写真から引き出しているのである。それを、私たちの目に焼きついた、マリリンの残像と考えてみてはどうだろう。(竹内利夫「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1990年12月07日掲載)
カテゴリー:作品
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ダダとは?【 美術用語 】 第一次大戦中、ヨーロッパおよびアメリカに起った運動。1916年、チューリヒのキャバレ・ヴォルテールで、トリスタン・ツァラ、ジャン・アルプらが、辞典の一頁から偶然に拾った言葉「ダダ」を用いた。大戦の不安のなかで、合理主義文明とその社会体制を否定し、破壊しようという運動で、おびただしいデモンストレーションとスキャンダルを通じて「なにも意味しない」虚無のダダを唱えた。この否定の精神は、ドイツではヒュルゼンベック、グロスらにより政治的色彩を濃くした。またニューヨークでマルセル・デュシャン、ピカビアらが写真のコラージュや、レティ・メイドのオブジェを使った時期をニューヨーク・ダダと呼ぶが、デュシャンの芸術そのものへの否定精神(反芸術)は、第二次大戦後の若い作家に受け継がれた。さらに1919年にケルンでエルンスト、アルプらが起したダダ運動は、偶然性や意識下の世界を通じて、のちにシュルレアリスムや抽象表現主義への道をひらいた。 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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