作家名:
香月泰男
制作年:1951年
技 法:油彩 キャンバス
この作品は1952年にパリで開かれたサロン・ド・メ展に出品された。大胆に単純化された二人の人物が、抑制された色彩で描かれている。大正の初めごろから、日本では雑誌の図版などを通じて
ピカソが紹介されるようになり、昭和初期には若い作家を中心に数多くの追従者を生んだ。
マティスと共に近代精神の象徴的な存在を理解されていたらしい。そのころ、東京美術学校に学んだ香月も例外ではない。
ピカソを研究した数多くのデッサンを残し、卒業制作には
ピカソの青の時代の影響が濃厚な作品を発表している。その後、香月は
ピカソを離れた作風を試み、戦後は萩焼の絵付など極めて日本的な工芸の世界にも手を染めている。
ピカソを指して「所詮(しょせん)日本人には理解できぬ」とも述べている。しかし若いころの
ピカソ研究は生涯にわたって制作の骨格となったらしく、この作品のキュービズム(立体主義)的な平面分割にも、
ピカソに学んだ跡を見ることができる。(江川佳秀「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年10月18日掲載)