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ひととはこ 人と箱
この作品は1952年にパリで開かれたサロン・ド・メ展に出品された。大胆に単純化された二人の人物が、抑制された色彩で描かれている。大正の初めごろから、日本では雑誌の図版などを通じてピカソが紹介されるようになり、昭和初期には若い作家を中心に数多くの追従者を生んだ。マティスと共に近代精神の象徴的な存在を理解されていたらしい。そのころ、東京美術学校に学んだ香月も例外ではない。ピカソを研究した数多くのデッサンを残し、卒業制作にはピカソの青の時代の影響が濃厚な作品を発表している。その後、香月はピカソを離れた作風を試み、戦後は萩焼の絵付など極めて日本的な工芸の世界にも手を染めている。ピカソを指して「所詮(しょせん)日本人には理解できぬ」とも述べている。しかし若いころのピカソ研究は生涯にわたって制作の骨格となったらしく、この作品のキュービズム(立体主義)的な平面分割にも、ピカソに学んだ跡を見ることができる。(江川佳秀「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年10月18日掲載)
カテゴリー:作品
バウハウスとは?【 美術用語 】 1920年代のドイツで近代デザインの中心地となった建築と応用美術のための学校。デザインと工業技術の間に橋をかける重要な役割をはたした。1933年にナチスの圧力で解散してから教授陣と学生が各地に移住したため、バウハウスの理念は多くの国々に広められ、1930年代と40年代における近代主義のシンボルともいえる存在となった。バウハウスの創設は、1919年に、旧ヴァイマール美術アカデミーとヴァイマール美術工芸学校がグロピウスによりひとつにまとめられたことに始まる。グロピウスの最初の思想は、すべてを包含する近代的で構成的な芸術を実現して、モニュメンタルな要素と装飾的な要素の分離をなくそうとするものであったが、さらに1923年には、工業的大量生産用のデザインを行う工芸家が重要であるとした。このため、バウハウスは産業界と密接に関係を持ち、多くの製品を生み出した。その特徴は非個人的で幾何学的で厳格なことであり、むだを省き素材を研究し、洗練された形を持っており、ヨーロッパの建築・応用美術に大きな影響を与えた。 |
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