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こいそよざくら 小磯夜桜
東京で生まれ盛岡で育った平賀敬は、子供のころ、家にあった油絵を見て、子供心にこの世の中が単純でないことを感じたと言う。こんな昔のエピソードにうなずけるところを、彼の作品は持っている。降るような夜桜の下で、酒宴をはる人々がいる。花びら一枚一枚を細密に描いた桜の華麗さに対し、身なりは神士淑女とも言える人々は、仮面に似た無表情さである。しかも酔態はみだれている。ある文学者は、彼の作品に、「遊楽のさなかの孤独」を読み込んでいるが、確かにここには、単純でない人間模様が秘められている。十年近いフランス留学の経験を持つ平賀は、浮世絵を数多くスケッチして学ぶなど、日本の伝統的な形やモチーフも自分の作品の中に溶かし込んでいる。「小磯夜桜」は、そんな彼の造形的な追求と現代の人間存在の追求とが合致したところで生み出された作品と言える。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年04月26日掲載)
カテゴリー:作品
リプシッツとは?【 作家名 】 1891年リトアニアに生まれる。1973年没する。(イタリア、カブリ)本名ハイム・ジャコブ・リプシッツ。建築を学んだ後1909年パリに出て、エコール・デ・ボザールで彫刻と素描を学ぶ。1912年頃からモンパルナスに住み、エコール・ド・パリの作家達と交流する。1913年から形態を幾何学的に還元した彫刻を制作、15年からは人体をモチーフとした彫刻を制作、キュビスムの彫刻家と目されるようになる。1920年ローザンベール画廊ではじめての個展を開き、22年バーンズ財団の依頼で、ペンシルバニアに石の大型レリーフを制作する。1920年代以降は、自ら「透明彫刻」と名付けた軽快な線的彫刻を制作し、彫刻に新しい地平を開く。1930年代になると、作風は次第に有機性と神秘性を加え、闘争や抱擁をテーマにうねるような量塊によって深い感情表現を追求する。1941年以降ニューヨークに定住し、戦後はアメリカ各地に数多くのモニュメントを制作する。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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