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むかしのかお 昔の顔
山口薫は、日本の抽象美術のパイオニアたちが集まった自由美術家協会やモダンアート協会の結成に加わると共に、数多くの賞を受賞した洋画家だが、華々しい美術界のリーダーとしてよりも、誠実に自己の詩心を表した「純正な画家」としての評価が似つかわしい。彼は抽象絵画を、人間の夢があって初めて生まれるもので、そこに自然な息吹が感じられなければならないと言う。確かに人は様々な形に、たとえば原始の土器の形などに、自分の気持ちを自然に満たしてくれる何かを見いだす時がある。はにわの頭部をもとにこの作品を描いた作家の心情も、そのようなものであっただろう。彼の表現は純粋抽象ではない。しかし、はにわのイメージを心の奥に納めたうえで、造形的に純化して表したこの作品は、伝統に対する共感など様々な心情が、その無駄のない簡潔な形態ゆえに、率直に私たちの心に伝わってくるのである。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年02月07日掲載)
カテゴリー:作品
バウハウスとは?【 美術用語 】 1920年代のドイツで近代デザインの中心地となった建築と応用美術のための学校。デザインと工業技術の間に橋をかける重要な役割をはたした。1933年にナチスの圧力で解散してから教授陣と学生が各地に移住したため、バウハウスの理念は多くの国々に広められ、1930年代と40年代における近代主義のシンボルともいえる存在となった。バウハウスの創設は、1919年に、旧ヴァイマール美術アカデミーとヴァイマール美術工芸学校がグロピウスによりひとつにまとめられたことに始まる。グロピウスの最初の思想は、すべてを包含する近代的で構成的な芸術を実現して、モニュメンタルな要素と装飾的な要素の分離をなくそうとするものであったが、さらに1923年には、工業的大量生産用のデザインを行う工芸家が重要であるとした。このため、バウハウスは産業界と密接に関係を持ち、多くの製品を生み出した。その特徴は非個人的で幾何学的で厳格なことであり、むだを省き素材を研究し、洗練された形を持っており、ヨーロッパの建築・応用美術に大きな影響を与えた。 |
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