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じょゆうのし(まりりん・もんろー) 女優の死(マリリン・モンロー)
5メートル近くもある大画面に、マンガ風の女性像が横たわっている。描かれているのは、1962年にこの世を去ったハリウッドのスター、マリリン・モンローである。グラマーな肢体、高いハイヒール、そして死の床に置かれていたという受話器など、彼女を象徴するイメージが、派手な色彩とユーモラスな形によって示されている。そこには、スターに対する一種の親近感と、その死をあっけらかんと眺めるほかない空々しさとが、共に虚しく漂っているようだ。作者の岡本信治郎は、このように大衆的なモチーフを明るいマンガ調でとらえてみせる。この作品では、人間的な個性を奪われ、大衆の性的なシンボルに仕立て上げられたマリリンの孤独な死を、いかにもそっけなく描いている。もとより実体のないスター像の空虚さが、そこに露呈されていると言えよう。(竹内利夫「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1990年08月15日掲載)
カテゴリー:作品
シャガールとは?【 作家名 】 1887年ロシアに生まれる。1985年没する。ユダヤ人であるが後にフランス国籍を得る。バクストの美術学校で学んだのち、1910年パリに出る。この頃から故郷の風物を好んでとり入れる。1914年ロシアに戻り、革命後は一時期美術行政にも関わるが、22年に再びパリへ戻る。1933年にバーゼル美術館、46年にはニューヨーク近代美術館、47年にはパリ国立近代美術館で回顧展が開かれた。第2次世界大戦中は渡米するが、1947年にはフランスに戻る。1950年にはチューリッヒ美術館、63年には東京と京都で、また67年には生誕60年を記念してチューリッヒとケルンで、それぞれ回顧展が開かれた。あざやかな青や赤や黄色を用いて描かれた、花々や動物、抱擁する恋人達は、重力をこえて空を飛んでいる。スペイン内乱やユダヤ人虐殺、2つの大戦を経た彼は、永遠の愛の神話を生み出そうとしたのであろうか。油彩の他、挿絵や版画、ステンドグラスなども手がけており、今世紀を代表する画家の1人として評価されている。ニースにシャガール美術館がある。 |
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