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じょゆうのし(まりりん・もんろー) 女優の死(マリリン・モンロー)
5メートル近くもある大画面に、マンガ風の女性像が横たわっている。描かれているのは、1962年にこの世を去ったハリウッドのスター、マリリン・モンローである。グラマーな肢体、高いハイヒール、そして死の床に置かれていたという受話器など、彼女を象徴するイメージが、派手な色彩とユーモラスな形によって示されている。そこには、スターに対する一種の親近感と、その死をあっけらかんと眺めるほかない空々しさとが、共に虚しく漂っているようだ。作者の岡本信治郎は、このように大衆的なモチーフを明るいマンガ調でとらえてみせる。この作品では、人間的な個性を奪われ、大衆の性的なシンボルに仕立て上げられたマリリンの孤独な死を、いかにもそっけなく描いている。もとより実体のないスター像の空虚さが、そこに露呈されていると言えよう。(竹内利夫「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1990年08月15日掲載)
カテゴリー:作品
タルとは?【 作家名 】 ネグリチュードの詩人としても知られた文人大統領サンゴールが打ち出した、新生セネガルの発足に際しての文化振興政策の思想は、アフリカの伝統的な精神をベースにして、西欧近代の物質文明を同化してゆこうというものであった。当時、パリから戻ったばかりのパパ・イブラ・タルは、サンゴールの理想の実現に向けて、ダカールの若い美術家たちを指導し、積極的に助言をあたえるなどした。やがて、これら一群の作家たちをエコール・ド・ダカールと呼び称するようになるのだが、彼らは仮面や神像などの伝統的なモチーフをキュビスムの手法を取り入れて、半抽象の様式で描くことに活路を見いだした。1966年、ダカールで開かれた第一回世界黒人芸術祭で、エコール・ド・ダカールは華々しく登場することになる。パパ・イブラ・タルも、この時にイバ・ンジャエによって企画された〈現代美術−傾向と対峙〉展に出品している。ここではエコール・ド・ダカールの第一世代の美術家たちがどのような顔ぶれであったのか、よく知ることができる。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
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