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あんたいとる UNTITLED
黄色いタッチがざわめく広い平面の奥に、彼の像がいる。見るなという拒絶のポーズなのか、表情豊かな仕草ががれてよく見えない。舟形の裂け目の中で、彼以外は塗りつぶされ、このぼやけた像だけを巧みに注目させようとする。自らの裸体を映像の断片として、いともいさぎよく扱うのだ。大がかりな舞台を設定した上で、カメラをめぐる作家の感性をスマートに匂わせてみせる。(「コレクションによる特別展示 人間像のゆくえ」展図録、1995年)
カテゴリー:作品
伊上凡骨とは?【 作家名 】 1875年徳島市中常三島に生まれる。1933年没する。本名は、純三(蔵)徳島高等小学校卒業後、17歳の年に上京し、木版画の彫刻大倉半兵衛に師事する。はじめは伝統的な版木の彫刻技術を学ぶが、やがて洋画の複雑な筆触や色彩を木版で再現することに熱中する。1902年雑誌『美術新報』のために三宅克己の水彩画に版木に仕立てのを皮切りに『明星』『白樺』などの雑誌の挿絵やカットを制作する。伊上の技術は当時神技とさえうたわれ、明治から大正にかけてこの道の第一人者であった。凡骨の雅号は与謝野鉄幹の命名による。 |
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