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なかざわ ひろみつ 中沢弘光
1874年東京都に生まれる。1887年曾山幸彦の画塾に入門。東洋英和学校に入学するが絵画に専念。曾山没後は堀江正章、黒田清輝の指導を受ける。1896年黒田らによる白馬会の創立に参加。1900年東京美術学校西洋画科選科を卒業。第1回文展、第2回文展に出品して連続3等賞。第3回文展で2等賞を受賞した。1912年、光風会の創立に参加。翌年には日本水彩画会の創立に参加し、評議員となる。1919年、第1回帝展以後審査員を歴任し、1922年渡欧。1924年、白日会の結成に参加。1930年帝国美術院会員、1944年帝室技芸員、1957年文化功労者となり、1958年には社団法人日展顧問となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年)
カテゴリー:作家
ドクメンタとは?【 美術用語 】 1955年以来、西ドイツのカッセル市で、原則として4年ごとに催されてきた進歩的傾向の国際美術展の名前。第1回展は、カッセル・アカデミーのボーデ教授の提唱で、第二次大戦終了までナチスによって進歩的・前衛的芸術が「退廃」の烙印を押されて国際舞台から著しく立ち遅れてしまっていたドイツの芸術に、再び新しい息吹きを取り戻す目的で組織された。以降、ドイツの国民に世界の現代美術の動向を紹介するのを根本とし、多くの国際美術展のような授賞制度を持たずに、毎回テーマを決め、それに基いて委員会が美術家の人選を行うという方法を採っている。第2回展にはアメリカ部門が設けられ、ニューヨーク派の成果が紹介され、第4回展では、出品作家の3分の1がアメリカ人でその作品の多くが巨大なサイズのものという、アメリカの色面抽象絵画、ポップ・アート、ミニマル・アートが支配的なもので、ドクメンタの歴史にひとつの頂点を画したものであった。画商界の動向への追随など批判も多いが、現行の国際美術展では最も規模の大きいものである。 |
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