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なかざわ ひろみつ 中沢弘光
1874年東京都に生まれる。1887年曾山幸彦の画塾に入門。東洋英和学校に入学するが絵画に専念。曾山没後は堀江正章、黒田清輝の指導を受ける。1896年黒田らによる白馬会の創立に参加。1900年東京美術学校西洋画科選科を卒業。第1回文展、第2回文展に出品して連続3等賞。第3回文展で2等賞を受賞した。1912年、光風会の創立に参加。翌年には日本水彩画会の創立に参加し、評議員となる。1919年、第1回帝展以後審査員を歴任し、1922年渡欧。1924年、白日会の結成に参加。1930年帝国美術院会員、1944年帝室技芸員、1957年文化功労者となり、1958年には社団法人日展顧問となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年)
カテゴリー:作家
ブーシェとは?【 作家名 】 18世紀フランスのロココ絵画を代表する画家。20歳でアカデミーの大賞を獲得。その後イタリアに遊学。ここでベネチアの絵画に深い感銘を受ける。帰国後、アカデミー会員となる。後に会長に就任し、ヴェルサイユにおいては、ルイ15世の主席宮廷画家となって、ポンパドゥール夫人の絵画教師もつとめた。彼の芸術活動は実に幅広く、ヴェルサイユ宮の装飾、タピスリーやセーヴル陶磁器のデザインのほか、オペラ座の舞台デザインをも手がけた。絵画においては永遠の女性ヴィーナス礼賛こそ彼の一生を賭けたモチーフであった。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年) |
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