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しんだひとがわたしをうんでくれた しょうわ40ねん7がつ27にちははしす 死んだ人がわたしを産んでくれた(昭和40年7月27日母死す)
山下菊二は、戦後日本の美術家の中でも傑出した存在である。この作品は前年に亡くなった母親の追善供養として制作したものだが、母親をはじめすでに故人となった家族を、山下が幼少期に聞かされた黄泉の国の住人として描いている。この世の住人である山下自身は赤い姿で描いている。生涯にわたって山下の作品の重要な要素となった土俗的なイメージは、幼少期に耳にした伝承や体験した因襲を踏まえたものと考えられるが、その意味でこの作品は、山下作品の原点ともいえる作品である。
カテゴリー:作品
アルプとは?【 作家名 】 1886年フランスに生まれる。1966年に没する(オランダ、バーゼル)。ワイマール美術学校、パリのアカデミー・ジュリアンに学ぶ。1912年ブラウエ・ライター、翌年シュトゥルムの活動に関わり、16年からはダダの中心的人物として活躍する。1925年にはシュルレアリスムの運動に参加。また1930年にはセルクル・エ・カレ、翌年に「抽象・創造」と、抽象美術の活動にも参加、ダダと抽象美術にまたがる幅広い活動を展開した。絵画の他にも、コラージュ、彩色レリーフ、ちぎり絵のコラージュ(ハピエ・デシレ)、彫刻等を手掛け、更に詩人としても活躍する。1954年ベネチア・ビエンナーレ展で国際彫刻大賞、63年フランス芸術大賞を受賞。1965年ロカルノ名誉市民となる。1958年ニューヨーク近代美術館、62年にポンピドゥ・センターで大回顧展が開催された。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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