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作家名:廣島晃甫
制作年:1939年
技 法:絹本着色 額装
徳島市で生まれた広島晃甫は、東京美術学校(現在の東京芸術大学)に学び、戦前の帝展文展で活躍した日本画家である。また一時期、長谷川潔らと日本版画倶楽部を結成するなど、版画家として活躍したことも忘れることはできない。1919年にできた帝展の第一回展、二回展で連続して特選を受賞。一躍注目され、以後、帝展審査員、文展審査員なども歴任した。これは、1939年の新文展に出品された作品で、赤い花をつけた蓮が表されている。細い茎で支えられた大きな葉が、さまざまな表情で寄り添い、茎と茎が複雑に重なり合った様子を捉えている。当時の日本画界には、洋画の写実的な手法を洗練して日本画に生かす傾向があったが、これはその流れのうえで試みられたものといえる。花鳥画を好んで描くようになった晃甫の昭和初期の作風を伺ううえでも意義深い。(森芳功「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1988年12月16日掲載に一部加筆)


カテゴリー:作品
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五姓田義松とは?【 作家名 】

1855年東京都に生まれる。チャールズ・ワーグマンに入門。1874年横浜から東京に移り、家塾を開く。1876年工部美術学校に入学し、フォンタネージの指導を受ける。翌年工部美術学校退学。同年の第1回内国勧業博覧会に出品し鳳紋賞を受ける。1880年渡仏。フランスでレオン・ボナに師事する。1882年パリのサロンに入選。翌年にも再び入選する。1887年ロンドンに移り、その後アメリカに渡る。1889年帰国し、明治美術会の結成に参加。1890年父芳柳と共にアメリカへ行く。同年帰国。また、この年の明治美術会第2回展に出品。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年)

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