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せいりゅう 静流
日下八光は、徳島県羽ノ浦町の生まれ。東京美術学校(現在の東京芸術大学)に学び、文展、帝展、日展に出品した日本画家である。宇治平等院の装飾画、装飾古墳の壁画などの模写や復元に従事。装飾古墳の研究者としての顔も持つ。 彼の作風は自然の風景を平明に表すところにある。葉を落とした木々の枝一本一本を克明に描き冬の近づく風景を捉えたり、ススキの穂が風になびき、色づいていく秋の山を表現したりするなど、季節の容ぼうを自然の中に読み込み、それを大きく変形せず素直に描き出す。このような作風は、初期の作品から現れている。<静流>は、東京美術学校の卒業制作として描かれたものの一つで、草が枯れ、木の葉の落ちた晩秋から冬に向かう田園風景のなか、ひっそりと流れる小川を描いたものである。ここには、伝統的な技法を習得しながら写生を重ね、自己の表現を見出そうとする若い作者の姿を見ることができる。( 森芳功 「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年10月04日掲載に加筆)
カテゴリー:作品
文展とは?【 美術用語 】 文部省美術展覧会の略。1907年6月、勅令によって美術審査委員会官制がしかれ、続いて美術展覧会規程が告示公布され、最初の官制による展覧会として同年以降毎年秋季に開催された。当初から審査員の選出で紛糾し、美術界を統合した形をとるために当時日本画壇に分立した諸団体と洋画、彫刻の新旧両派から選出した委員に学識経験者を配して均衡をとった。1919年文部大臣の管理下に帝国美術院が設けられ帝国美術院展覧会に改組されたが、在野有力作家の吸収を目的として、35年文相松田源治により帝国美術院が改組され、37年ふたたび文部省美術展覧会として発足した。戦後は1946年日本美術展覧会(日展)として再出発したが、49年日本芸術院と日展運営会が共催することとなり、さらに58年から社団法人日展により運営されている。1937年からの文部省美術展覧会を新文展と呼ぶことがある。 |
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