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せいりゅう 静流
日下八光は、徳島県羽ノ浦町の生まれ。東京美術学校(現在の東京芸術大学)に学び、文展、帝展、日展に出品した日本画家である。宇治平等院の装飾画、装飾古墳の壁画などの模写や復元に従事。装飾古墳の研究者としての顔も持つ。 彼の作風は自然の風景を平明に表すところにある。葉を落とした木々の枝一本一本を克明に描き冬の近づく風景を捉えたり、ススキの穂が風になびき、色づいていく秋の山を表現したりするなど、季節の容ぼうを自然の中に読み込み、それを大きく変形せず素直に描き出す。このような作風は、初期の作品から現れている。<静流>は、東京美術学校の卒業制作として描かれたものの一つで、草が枯れ、木の葉の落ちた晩秋から冬に向かう田園風景のなか、ひっそりと流れる小川を描いたものである。ここには、伝統的な技法を習得しながら写生を重ね、自己の表現を見出そうとする若い作者の姿を見ることができる。( 森芳功 「文化の森から・収蔵品紹介」讀賣新聞1989年10月04日掲載に加筆)
カテゴリー:作品
日下八光とは?【 作家名 】 1899年徳島県那賀郡羽ノ浦町(現・阿南市)に生まれる。1996年没する。本名は喜一郎。1924年東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科を卒業。結城素明(そめい)門下の研究団体、晨光(しんこう)会に属した。1928〜29年には東京美術学校嘱託となり、旧朝鮮総督府博物館(現・韓国国立中央博物館)に所蔵されていた敦煌(とんこう)など西域の仏教壁画の模写に携わる。その後、帝展(帝国美術院展)、新文展(文部省美術展)などに作品を発表し活躍。1944年東京美術学校助教授、翌年教授となり、東京藝術大学移行後の67年まで教鞭をとった。1955年からは、装飾古墳壁画の模写に尽力し、96歳まで意欲的に制作活動を行った。 |
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