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なかばやし せん 中林■
1878年京都府に生まれる。1898年第4回新古美術展覧会に出品し、褒状二等賞を受ける。1900年第6回新古美術展覧会に出品し、三等賞銅牌を受ける。翌年関西美術会第1回批評会に出品、三等賞銅牌を受ける。1903年伊藤快彦の私塾鐘美会に入る。この年聖護院洋画研究所の開設にともない移る。翌年関西美術会第3回競技会の水彩画部門で一等賞を受ける。1906年関西美術院に入る。1908年東京に移り、太平洋画会研究所に学ぶ。1913年日本水彩画会の創立会員となる。同年、日本美術学院の講師となる。1919年長野県松本高等女学校の図画教員となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年)
カテゴリー:作家
青騎士とは?【 美術用語 】 1911年ドイツで革新的な目的を持つ芸術家たちがつくった緩やかな組織のグループにつけられた名称。グループの起こりは、1911年、カンディンスキーが、「新芸術家協会」の第3回展に出品を拒否されたことから、フランツ・マルクらと、ミュンヘンのタンホイザー画廊で対抗展を組織し、参加したグループを彼の小作品「青い騎士」にちなんで「青騎士(ブラウエ・ライター)」と命名した。参加者にはマッケ、クレーなどがいた。第2回展は1912年にミュンヘンで、版画を中心に開かれたがこれにはブリュッケのメンバーも参加し、また国際美術展の先駆ともいうべき性格のものであった。1914年の第一次大戦の勃発による解散した。グループには統合するような様式、教義はみられないが、内面的意欲が多様に形づくる形態の差異を示すことが共通の精神的基盤といえる。また、グループは同名の機関紙を発行したが、ここではヨーロッパの前衛芸術家の作品の他に、民芸品や児童画などの作品も評価し、現代的芸術観の礎石となった。 |
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