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くじゅうくりはま2 九十九里浜II
大森運夫は、日展、院展と並ぶ日本画発表の舞台である創画展を中心に活躍してきた。彼の主題は、初期から一貫して人間の追求にあり、その成果は、戦後日本画の人間表現を語るうえで欠かせない。これは、漁民の家族を描いたもので、モニュメンタルな力強さに満ちた初期の代表作の一つである。働く人々を描く傾向が当時の日本美術界にあったが、その優れた作例ともいえるだろう。この作品を描いた頃、大森は、徳島県出身の山下菊二と交流している。
カテゴリー:作品
アンデパンダン展とは?【 美術用語 】 1884年の春、スーラ、シニャック、ルドン、ギヨーマンなどを含むフランスの反アカデミズムの画家やサロン落選画家たちが独立芸術家集団を組織、同年夏に改組し独立芸術家協会(Societes des Artistes Independants)を結成し、年末に第1回展を開催。その目的は、所定の会費を払えば誰でも出品できる鑑査機構なしの展覧会を組織することにあった。アンリ・ルソー、ゴッホ、ロートレック、セザンヌ、マティス等もしばしば出品するなど、印象派より若い世代の画家の多くがこの展覧会と関連し、20世紀の初めまで重要な美術動向の舞台となった。我が国においても、第2次大戦前に童心芸術社と二科展主催のものがあったが、1946年に日本美術会が設立され、民主的立場に立った日本アンデパンダン展を開催。これとは別に1949年、読売新聞社主催で同名の展覧会が開始され、しばらくは並例して進んだが読売アンデパンダンと改め、63年ダダ化が進むなかで中止に至る。 |
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